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2010年5月27日 (木)

おばあのこと

[ わすれない]

数カ月前に書いたけどポストしてなかった。先日、百ヶ日のお参りが済んだと父親からメールがきた。

ーー

おばあちゃんの葬式に参列してきた。父親の母親だ。おじいが死んでちょうど10年目の今年、92歳と10ヶ月で年子おばあちゃんは天に召された。このおばあに対する僕の思い入れは相当なもので、そんじょそこらのおばあちゃん子には負けない自負すらある。おばあが死んで早ひと月、本当におばあの孫で幸せだったと思えることの幸せを噛みしめながら生活してる。

祖父母は、実家から50m離れたところで和菓子屋を営んでいた。両親が共働きだったこともあり、僕は小中高の大半の日々、おばあの作ってくれたご飯を食べて暮らしていた。中学生の時、おじいがボケ始めたのをきっかけにに和菓子屋をたたんだ。その時の饅頭(金蝶饅頭という麹饅頭)の値段がたしか1個80円だったと思う。その一個80円の、昔はもっと安かっただろう、饅頭を何万個と売って、僕の父親と2人の叔母を育てたおじいとおばあ。さらに姉と僕の面倒もみてくれたのがおじいとおばあだった。

僕が結婚して娘ができてからも、実家に帰っておばあに会えばまだ一歳たらずの曾孫を前に、「本当によくここまで育てたね。頑張ったね。ありがとうね。」「さやかさん、ほんとうに頑張ったね。ありがとうね。」と、自分は3人の子供と2人の孫を育てたことを全く他人事のように、いつも妻と僕を褒めてくれた。

おばあの体調が急変した、と僕らが気がついたのは、去年の7月だった。娘の満一歳の誕生日を祝うため、箱根で1泊の小旅行が企画され、僕らは両親と箱根の宿に集合しチェックインした直後のことだ。実家の留守を預かるために、大阪から帰ってきてもらった姉からの電話。「おばあちゃんが倒れている!」。驚いた。姉が実家に着いた時には、おばあはお腹が痛いとうずくまっておりそのまま痛みに耐えられず失神してしまったそうだ。とりあえず姉には救急車を手配してもらい、父親はその日のうちに実家へトンボ帰り。僕らも翌日実家へ戻った。おばあは、腸閉塞の疑いアリとのことで搬送先の市民病院にそのまま入院。後から分かった事だが、この時既におばあの体は相当に蝕まれていた。大腸か盲腸あたりの癌がかなり進行していたらしい。当然倒れるまでにも相当な痛みがあったはずだが、人に心配をかけまいとするおばあはそれを誰にも言わずにひとり我慢し続けていた。きっと父母が箱根に出発する朝も痛みがあったのだろう。

そしておばあは10月まで入院し、その後は自宅治療ということで実家に帰ってくることができた。といっても、自分の口から食べ物は一切とることができず栄養はすべて点滴という点においては入院時代と変わりない。点滴を交換するのは医療免許がいるため、両親は、毎日近所のお医者さんから看護師さんに来てもらう手はずも整えた。そして誰かが必ず家にいる必要があるため、共働きの両親は二人のスケジュールをあわせ仕事を調節する生活に変えた。

点滴での寝たきりの生活は少しずつおばあの体力を奪っていった。僕もなるべくおばあの顔をみようとできるだけ実家に足を運んだが、そのたびに少しずつおばあは痩せていく。寝たきりの闘病生活にも関わらず、おばあの意識は全くしっかりいて、認知症の兆候も全くみられない。それは嬉しくもあり、苦痛をそのまま受け止めていると考えると痛々しくてしょうがなかった。そしてそんな生活が100日を超え冬になった。ちょうど立春も過ぎた頃、利尿剤では排出できない水分が徐々に溜まっていったおばあの両足はまるで風船みたいにパンパンに膨れ上がり、その膨れ上がりが上半身にもすこしずつ現れはじめた。お医者さんによると、がん患者の末期はこうなるそうだ。そして2月8日午前11時15分、母親と二人の叔母が見守る中、静かに息を引き取った。父親はちょうど席を外していた時だったらしい。

僕は、それから15分後の11時30分に、父親からの電話でその事実を知らされた。年末から友人知人の悲しい訃報が続いていたため、感覚が麻痺していたのかもしれない。不思議と悲しさはなかった。ずっと前から心の準備はできていたからなのかもしれない。その日のうちか翌日には実家に帰れるように、急いで仕事先などにスケジュール調整の連絡を淡々とこなした。「祖母が他界したため…」「祖母の葬儀の為…」とただ淡々と状況を伝えた。全く悲しくなかった。不思議なものだ。
ただその日の夕方、「おばあちゃん」という言葉を自分の口から妻に発した瞬間、せきをきったように涙が止まらなくなった。

おばあちゃんが死んじゃった。

翌日、妻と娘と実家に戻り、おばあと対面した。癌の苦しみから解放された顔は、最近のおばあより何歳か若返ったようにみえる。また涙がでてきた。ぐしゃぐしゃに泣きじゃくる僕を不思議そうに娘がみている。おばあと僕を交互にみつめている。いくら考えても、どうにも意味がわからいようだ。
その日の夜は、おばあの遺体が安置されている和菓子屋の仏壇間で父親と2人で寝た。父親が寝たあと、こっそりおばあの寝ている隣の部屋へ。おばあと2人きりで向い合い、昨日皆の前では言えなかったことを言った。ありがとうございました。今まで本当にありがとうございました。と声にだして何度も言った。人は本当に泣きじゃくると嗚咽で口を閉じることができないらしい。服とズボンがヨダレと涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。
翌日の朝、目が覚めると隣に父親はおらず、代わりにとなりの部屋から鼻をすする音が聞こえた。

通夜と葬式を終え荼毘にふし、東京へ戻ってきて仕事を再開してしばらく経つがまだ悲しい。実家に帰ってももうおばあがいないということがよく分からない。よく分からないな。この後もうずっとありがとうございましたとしか言えないんだろうと思う。

IMG_1897.jpg


投稿者 takeyama : 02:35

2008年11月 6日 (木)

vmware fusionがロックされて立ち上がらない

[ まくる, わすれない]

朝、「掃除機が壊れた壊れた」というSのライムで目が覚める。

寝ぼけ眼で掃除機を手にとりスイッチオンオフ。確かに動かない。この掃除機、まだつい最近買ったような気がする。三菱製の掃除機だ。修理だ修理だというSのライムにモッシュしながら保証書を探すも、中々見つからない。モッシュしてるからしょうがない。とりあえず購入日だけでも確認しようと、去年の確定申告の書類を引っ張り出して領収書を探す。あったあった。買ってからちょうど1年とちょっと。ソニータイマー並の優れたタイマーが三菱にも!

世知辛い世の中だねえ、と嫁と朝食。

仕事をしようとマックに向かうと、スリープしていたはずのマックが立ち上がらない。気が付いてみると、マックどころか家中の電源が落ちている。

ブレーカーが落ちていた。

原因は今朝方のデロンギオイルヒーター、電子レンジ、掃除機のトリプルパンチっぽい。

この古いマンション。これまでは管理会社以外、何の文句もなかったが、アンペアねえ。最大アンペアが低いのよ。普通に暮らすにはモウマンタイだけど、仕事場兼用だとこういう時にはやっぱり不安。もうアンペアが気になって夜も寝られない。

と、ここまでが予想以上に長かった!今から本題。

で、その停電後、マックを起動し仕事はじめる。vmware fusion osxでwindowsを立ち上げようとすると、何故か立ち上がらない。アラートの内容は忘れてしまったが、WINDOWSがロックされて立ち上がらないとか何とか。原因は、どう考えても今朝の停電。調べてみると、実行ファイルがロックされてしまったままになっているらしい。WINDOWS OSのパッケージの中身をチェック。デフォルト設定のインストールでは、ここにあるらしい。実際、俺の環境ではここにあった。
~/Documents/仮想マシン/Windows XP Professional.vmwarevm
ロックされたファイルを削除で無事解決。焦った〜。

黄色のファイルを消しました。

vmware_trouble.gif


投稿者 takeyama : 02:31

2008年7月29日 (火)

子どもうまれました

[ くらす, こども, わすれない]

バッタバタで報告おくれました!

7月10日。娘が産まれました!名前もやっと決まりました!
ハンドルネームはL子にしようかな。

先日、やっとL子が退院してきたこともあり、まずは一段落と。
思いだしながら出産から今日までを。

7/9深夜3時。奥さんに起こされる。陣痛が始まったらしい。ほぼ10分感覚になっているとのことで、分娩予約をしている病院に電話。状況を確認したあとタクシー(東京のタクシーは電話で呼んでも結構断られることが多い!国際自動車のMyTaxiに登録するのがオススメよ!)呼んで病院に向かう。お産室という分娩台が設置されている部屋に通される。ほえ。ここで産むのか。ふむふむ。テレビや小テーブルや椅子、冷蔵庫まであってトイレも室内に完備。結構VIPな感じの部屋じゃないか。っていうかこれが普通なのかどうかも分からん。

で、まず第一の問題として浮上したのは、出産には無関係な事柄。本日10日木曜は、某サイトの更新日。朝10時に更新しなきゃいけない。幸いそんな重い作業ではないので時間的には問題がない。お産室からイーモバイルで自宅のPCに繋いでデータをアップすればいいだけだ。ただ問題なのが更新時間。これが朝10時指定ときている。今は4時くらい。更新時間まであと6時間。そしてここから先は全くの未知の領域。この後どういう状況で陣痛が進んでいくのか分からない。今、奥さんはかなり痛くて辛そうではあるが、見る限りまだまだ正気だ。ただそれもこの後どうなるのか。いつかのドラマで観たようにやっぱり叫びだすのか。もしそんな状況の分娩の真っ最中が10時だったら、そんな嵐のような景色のなか、「あ。ごめん。ちょっと俺更新が。」とか言える雰囲気じゃないだろう。猿でもわかる。でも仕事なだけに何とかしないと。どうしようどうしようと考えながら、陣痛の波にあわせて奥さんの腰をひたすらプッシュ。こうすると痛みが少し楽になるらしい。親指でピンポイントにプッシュしつづけているので、指も相当疲れてきた。こりゃ10時頃には指、使い物にならないんじゃという不安もよぎる。とまあそんな思考がぐるぐるしてる間になんだかんだで10時近くになっても状況はそれほど変わっていなかった。更新をチャチャと済ませる。なんとかセーフ。でもこの時ばかりはフリーランスはどうなんだろうと考えた。

とにかくやっとこれで出産までは一直線。あとは名前が決まってないだけ。

昼過ぎから彼女の陣痛はいよいよ激しくなってきた。これから出産をひかえる皆々様をそんなに不安にさせてはいけないので、そんな詳細は述べません。もちろん個人差もあります。あくまでニュアンスとして伝えたいと思います。
モンハン風に言えば、エイリアンに寄生されたけどまだ生きている人間が「もう楽にしてくれ!殺してくれ!」と叫び続けるのを、「大丈夫だから。あと少しだからガンバレ!」と、実は何の確信もないままに励まし続けるというクエストです。
これが映画だったら、その人は大抵最初の被害者となるが、こちらは現実。もの凄いハッピーエンドが待ってます。そうです。心躍るハッピーエンドです。

そして子宮口が開ききり、いよいよ分娩開始とそこからがまたかなり激しいのです。男ははっきりいって何もできません。彼女の腕をつかんで手を握りただ応援することしかできない。俺、人生でこんなに応援したことはないわ。それくらい応援したわ。彼女はしっかり頑張ってるのに、応援してるだけの俺はほとんど半泣きでしたよ。で、彼女が辛そうで辛そうでもうこれ以上応援できません!俺がもう泣き崩れそう。という瞬間を十数回ほど乗り越えたら、やっと天使に会えました。

赤ちゃんの後頭部が見えたと思った次の瞬間、お尻がぷるんと出てきました。

夕方3時41分に産まれた。女の子。ピッタリ2500g。

もう俺この時には感動の極みでアホみたいに泣いていたのであんま状況を覚えていない。
もう人間、本当の時は月並みなことしか言えないのね。
よく頑張ったね。ありがとう。
それから思いだすように何枚か写真を撮る。

200807_akachan.jpg

出産から2週間経ち、やっと退院。しばらくは保育器に入ってたけど、今はもうそんなこと忘れるくらい元気です。名前もこないだ結構ギリギリで登録してきました。
やっと少しは冷静に振り返れるようになってきた。
奥さんには今もまだ「泣いとったよねw」と言われるしまつだ。

奥さんが先に退院し、L子がまだ入院しているという状況が一週間程あった。この期間は辛かった。毎日の限られた面会時間に、奥さんが搾乳したミルクを保冷バックに入れて届け、病院のお風呂でL子を沐浴させる日々。奥さんもよっぽど直接お乳をあげたかっただろうけど、なかなか会えない。この時は辛いなあと思っていたけど、今にして思えば、その時間があったおかげで、奥さんも俺も少しは自宅でゆっくりできた気がする。と思ってしまうくらい、L子が退院してきてからの日々はすさまじい。こんなこと初めて振り返ったよ。振り返る間もない怒濤の日々が続いている。
クソあつい真夏が来た。怒号のような泣き声とうんちにおしっこ。汗だくで沐浴。エアコンのない俺の仕事部屋。汗だくで仕事。やせるんじゃないか。もうこれまでは結構欠かさずに観ていた「水曜どうでしょう(MXとTVKで週2で再放送中!)」と「やりすぎ」、「ガキ使」、「タモくら」、「あらびき団」がどんどんHDにたまっていく。。全然みる暇ない。

で、よくどこかで聞いたような話に、
「どんだけ疲れてても赤ちゃんの笑顔みると元気いっぱいになるんだよね。」
とかあるような気がするが、新生児って全然笑わないのね。
全然、真顔だわ。かわいいよ。

20080728_lko02.jpg

これからブログに書くことといったらいよいよ子どもの事だけかもしれん。
そうなったら「ほ幅の速度」だなんてブログのタイトルやめて「L子の体重」で。


投稿者 takeyama : 23:24

2007年10月15日 (月)

肺気胸は英語でpneumothorax(ニューモソラックス)

[ わすれない]

ここ何日かあんま記憶がない。
仕事と並行して旅行の準備してた。
軽くトレッキングする予定もあるので何となくそれ用のゴアテックスでもなんでもない靴買ったり、一生物だ!とちょっと奮発してゴアテックスのカッパ買ったり、向こうでwifiをゲットする為に引越以来繋げてなかったのでアカウントを凍結されていた悪名高きFONを復活させてみたり。

で、何より大事なことは、英語で「肺気胸」を言えるようにしておくこと。

こないだの年末に我が身に降りかかった肺気胸の悪夢。退院する時に「特に何をしてはいけない。ということはなく、サッカーだろうがマラソンだろうがダイビングだろうが何してもいいんだけど、海外に行く時は現地の言葉で肺気胸を何て言うか覚えてから旅行してね。右肺は手術したから大丈夫だろうけど、左肺に起こる可能性あるからね。」と、お医者様に言われたのです。

調べようとも、和英辞書には載ってなかったため、ちょっと大変。
こんな時こそインターネット。
こんな素敵な個人サイトが見つかった。名前もずばりそのまま。

海外で気胸になったら


【pneumothorax(ニューモソラックス)】気胸。

「ニューモ」が空気に関係していて、例えばpneumonia(ニューモニア)は「肺炎」です。ちなみに「自然気胸」は「自然に起きる」という意味の”spontaneous”(スパンテイニアス)を頭に付けて”spontaneous pneumothorax”となります。

【pneumothorax(ニューモソラックス)】気胸ね。
どうりで見つからない訳だ。ずっと「肺気胸」で調べてた。

このサイトには他にも便利な病気・治療関連の言葉が沢山並んでる。
できればお世話にはなりたくないものだ。


投稿者 takeyama : 23:19

2007年7月12日 (木)

2007年3月21日 (水)

さよなら鴨ちゃん

[ わすれない]

鴨ちゃんが死んじゃったよ。
去年、復縁したばかりだってのに。
まだ42歳。
かなしい。

2007年3月20日午前5時、 鴨志田穣は永眠しました。 腎臓がんでした。

葬儀・告別式は密葬ですが、
後日、どなたもお越しいただける
「お別れの会」を開く予定です。
挨拶に寄ってくだされば幸いです。

喪主・西原理恵子

鳥頭の城/Saibara Riezo Official Site
鴨志田穣 - Wikipedia


投稿者 takeyama : 23:53

2006年12月31日 (日)

肺気胸のご報告

[ わすれない]

えー。この間、結婚のご報告をさせていただいたばかりで何ですが、
続いて肺気胸のご報告をさせていただくことになりました。

気胸 - Wikipedia


病院で年越しかと思われたのですが、何とか本日31日だけは一時外泊の許可がおりました。
で、また明日元旦の夕方には病院のマイベッドに戻るのです。

始まりはクリスマスイブ。
24日前の晩、閉店間際の時間になってレンタルビデオを返しに行くため、自転車に全速力で乗って以来、なんか胸の調子が悪かった。笑うと右の肺が痛い。
これはちょっとまずいぞ、と気がついたのは25日の晩。
M1を楽しく観ている時だった。笑えないくらいジンジンと胸が痛み出した。笑うと痛いもんだから、そもそもM1観ること自体に無理があるのだけど、それを楽しみにここ一月くらいを過ごしてきた身としては、何とか最後まで観たい。優勝を見届けたい!
という重いも空しく、決勝まで観ることは断念し、俺がM1途中棄権。

実際パーフェクトをとって優勝したチュートリアルの決勝を観ていたら、
今頃こうして無事でいたかどうかすら怪しい。いや無事でしょうけど。

翌朝、町のお医者さんに行き、レントゲンをとったところ、
「あー。こりゃまずいですね。まずいですね。右の肺つぶれてるよ。」
と、いきなりな事を言う。
紹介状をもらいそのまま新宿の大学病院へ。

即、肺気胸(自然気胸)と診断され、その場で胸腔に溜まった空気を抜く処置(メスで胸に穴あけて、管とおす)を施される。
その日はそれでOKとされ、とりあえず帰宅。
帰れたものですから、大したことないのかなと勘違いし、軽い気持ちで翌日また検査に行ってみると、なぜか今度は緊急入院。初回の場合は大抵、自然治癒するらしいのだけど、今回は穴が大きいのか自然治癒が見込めないらしい。

いきなりなもんで、
もう家に帰れずインターネットもできず、
電話で仕事先にだけはかろうじて事情を説明し、そのまま26日から先ほどまで病院に。
年末年始のこの時期、仕事も立て込んでいた時、ピンポイントで手術、入院となりました。
仕事関係のみなさん、ご迷惑お掛けしました!すいません!
術後で意識朦朧としていてあんま覚えてないのだけど、お見舞いに来てくれたWさん夫妻ありがとう!
メキシコから東京医科大学病院に新婚旅行の行き先が変わってしまった奥さん、すいません!もうしません。

というわけで、新年はうまくいけば5日くらいには退院できるのか。まだよく分かりません。

[東京医科大学病院]東京都新宿区
http://hospinfo.tokyo-med.ac.jp/


投稿者 takeyama : 16:05

2006年12月11日 (月)

結婚のご報告

[ わすれない]

結婚しましたー!
入籍、挙式も済み、とりあえず一段落。
遅ればせながらご報告させていただきます。

Hさん夫妻、アナウンスオフィスの皆さま、Hちゃんはじめ大学のみなさま、祝電ありがとうございました!
花を贈ってくれたYちゃん、Kちゃん、Yどうもありがとう!
当日バッタバタの中、写真撮ってくれたMさんありがとう!
(録音物のポッドキャストだけはどうか勘弁してください。)

当初の計画どおり、藤原紀香と陣内智則の結納と日を同じくして結婚式を挙げられた喜びを後生胸に抱えていきたいと思います。

とりあえず引越したいです。


投稿者 takeyama : 23:50

2006年9月 9日 (土)

猫ひろし、ジャニスに来る!

[ わすれない]

猫ひろし、ジャニスに来る!
すげえ観たい!
無料だし。

音楽&お笑いイベント「RIO DIGITAL フリースタイル不法集会〜ALL SOUNDS ARE CREATED EQUAL!!〜」 (Janis Space (仮))

・・・あいもかわらず金欠揃いのリオデジクルー、こと 永遠の「持たざるものたち」による ミュージック・コンクレート的おもてなし、ふたたび。

ヒア・ア・ニューワールド、コーリング・ユー。

13:00〜22:00
charge free(出入り自由)

<SPECIAL GUESTs>(順不同)
猫ひろし
2MUCH CREW
マジアレ太カヒRAW(スマーフ男組)
DJ Codomo
米粒写経

…and more TBA

VJ
onnacodomo

それにしてもYちゃんcodomoくん、onnacodomoの名前をここでもみるとは思わんかった!
いやあ2重の楽しみ。

ジャニス|Janis|レンタルCD、DVDの東京・御茶ノ水、音の図書館へ!


投稿者 ta : 03:42

2006年4月16日 (日)

高田渡一周忌

[ わすれない]

今日は高田渡の一周忌だった。
早い。Aと武蔵小金井へお別れ会に行ったのがまだつい最近のことのよう。

あまり関係ないのだけど、
最近、永福町駅界隈でやたらベンガルを目撃する。
ここ一週間に一度くらいのペースでみている。
昼間から飲んでる風だった。

全然知らなかったけど、息子の高田漣との共作がリリースされていた。 そうとう聞きたい。
すぐに注文。


"27/03/03" (高田渡/高田漣, 高田渡, 高田漣)

いつも困るのが、こういう場合の名前の書き方だ。
全く何の面識もない尊敬している有名人。
尊敬をこめて「さん」付けでもいいのだろうけど、
それはきっとちょっとおかしい。

例えば、友だちと昨晩のドラマの話題で盛り上がっている時、そいつがいきなり言い出した。

「昨日の妻夫木さん、よかったよね。」
「うん。昨日の妻夫木さん、よかったよ!」

こんな会話聞いたことないが、とにかくこういうのは嫌だ。
だから俺は呼び捨てを通す。
普通に「さん付け」で呼んでいたこともあったかもしれない。
ていうか、過去の日記を振り返れば普通に「さん付け」だろう。


投稿者 ta : 23:47

2006年4月14日 (金)

ご結婚おめでとうございます

[ おめでとう, わすれない]

先日、ジャニスのWさんとIさんがほぼ同時期に結婚されました。
おめでとうございます。
御祝いの席に紛れ込んで、焼き肉食わせてもらってきた。
ごちそうさまでした。
帰りは太っ腹なSさんがタク代だしてくれた。
ありがとうございます。

酔っぱらって大変だったKさんを赤堤に送り届けた後、永福に向かう。
豪徳寺あたりから永福に抜けるのは、結構難しい。迷いたくなければ、一度環七に戻った方がよい。
でもタクのおじさん、やけに自信満々だった。
「あーいけますいけます。」
で、安心して乗っていたら、やっぱり松原あたりの路地で迷いやがった。
しかしそのまま適当に進むタクおじさん。
気がつくと、下高井戸の駅前に出ている。
「あ。やっぱりプロは違うな。」と感心していると、
なぜかタクシーは駅前を抜けて一路、日大通りを桜上水のほうに走り続ける。
そして水道道路を左折したあたりで、それはやっと確信に変わった。

「道、まちがえてません?」
「いやそんなことないですよ。」

とこれまた自信満々なものだから、
「あ。やっぱりプロは違うな。」とまた安心する。

そして気がつくと、経堂の駅前に戻ってきていた。
このおやじ、驚くくらい何にも分かっていなかった。

何に腹が立つかって、その運転手の傍らに設置されている電源の入っていないカーナビだ。
「ふざけんな。」
と僕は言ったよ。
そのカーナビに言ったよ。
お前もカーナビだったら、こんなとき、電源くらい勝手に付けよ。

メーターとめてもらったよ。
いや何なら巻き戻してもらいたいくらいだ。

東京のタクシーはまずい。
ていうか、東京のタクシーしかしらない。

ウルトラローカルなエントリーですいません。
もしかしてこういうのロングテールっていうやつ?
格好いいとこみせちゃったかなあ?
悪いなあ!


投稿者 ta : 23:20

2006年4月 3日 (月)

ヤフオク詐欺

[ わすれない]

最近、ヤフオクでマックを買おうといろいろチェックしている。
昨日、よさそうな商品があったので入札してみたが、結局落札できなかった。
すると、しばらくしてから出品者を名乗る方からメールが来た。

以下、転載。

はじめまして。私はYahooオークションにて
「●●●●●●●●●●●●●●●●」
の出品者である岩谷口(Yahoo!ID:●●●●)という者です。

今回、貴殿にご連絡を差し上げたのは、この商品の落札者
から連絡があり、「ご家族の方の不幸があって、購入
できなくなってしまったので、申し訳ないが、次点以下の
入札者たちに譲ってください」ということでした。それで、
この商品にご入札頂いていた貴殿にメールをいたしました。

ただし、出品者の私でも最高落札者以外の入札者の方
のメールアドレスはわかりませんでした。貴殿より上位の
入札者をキャンセルしないと、貴殿のメールアドレス
は私にわからないのです。そこで、どうしたらいいか
悩んだのですが、貴殿のYahooメールアドレスにご連絡して
みることを思いつきました。
最高落札者の方は悪意があってのキャンセルではなく、
ご家族の不幸という事情ですので、そのような人に
悪い評価を付けたくなく、このような形でのご連絡
となりました。ご存知かもしれませんが、Yahooの
システムで最高落札者をキャンセルすると、その方
には「評価=非常に悪い」が付いてしまうのです。

もし差し支えなければ●●●●様とのお取引を
考えたいと思いました。送料等はこちらで負担しまして、
貴殿のご入札額である●●●●円でお譲りしたいと
思いますが、どういたしましょうか?

もし購入して頂ける場合は、その旨と発送先のご住所、
お名前などをご連絡ください。折り返し、代金の振込先
などを連絡します。また、高額な品ですので、代金先払い
が不安な方は、直接商品を取りに来て頂くこともできます。

お手数ではありますが、ご検討いただければ幸いです。
もし、「ほかで購入してしまった」などの理由でお取引
が無理な場合は、また別の方にメールしてみますので、
気になさらないでください。宜しくお願いいたします。


==================
 岩谷口 賢吾
 兵庫県尼崎市武庫元町●●●●
 090-1796-7254
 iwa_kenken2@excite.co.jp
==================

あからさまに怪しいので、試しにググってみると、ありました。
電話番号も名前も一緒だけど、こちらの岩谷口さんは千葉県の方でした。
http://blog.goo.ne.jp/sado-mujina/e/72e6f8dbcc0b182fe6f0c067e2e0e347

電話番号で調べるとさらにたくさんの情報が。
なんか高額商品に入札するとかなりの確率でこのメールはくるらしい。嫌だよ。
http://8916.teacup.com/anti_alchemist/bbs
http://d.hatena.ne.jp/neogomez/20060209
http://up.upaupa.net/i-nazo.html

ちなみに書かれている住所は、尼崎市の町のお医者さんの住所でした。ひどいな。

実際に振り込んでしまった人もいるようだし、
振込先の口座も分かっているのに捕まらないのか。こわいよ。

--
追記:また別の人からメール届きました。
あぶねー!
今度こそは本物かと。
危うく連絡するところだったよ!

はじめまして。Yahooオークションで出品してました、●●●●こと寺田と申します。
先程は、当方出品のオークションへの御入札いただきまして有難うございました 。
実は、落札者の方とその後、何度か連絡を取らせいたただていたのですが、落札 者ご自身の都合で今回の落札をどうしてもキャンセルして欲しい旨の申し出があ りました。落札後にキャンセルされると当方の入金予定が狂ってしまうので当初 はお断りしたのですが結局、落札代金の支払いがすぐにはできないとまで言うの で仕方がなくキャンセルを承諾致しました。
ご存知のように、通常通り落札者の繰り下げを行った場合、最高落札者様にマイナス評価が付いてしまうので、システム手数料3%をご負担いただける言うことでしたので、オークション上の取引は表面的には無事終了とさせていただきました 。
その結果、現時点では商品の買い手は見つかっていないという状況です。
そこで、売却先をあれこれと検討した結果、まず最初に御入札いただいた方々に伺ってそれでもまだ決まらないようであれば、業者等で処分しようと思っています。
そこで御相談なのですが、もしもまだ当方の商品にご興味があるようでしたら私自身、急な入用もあり、御入札金額(送料込み)位で即決取引させて頂けませんでしょうか?                      
(多少の値段交渉には応じます。 ) 尚、他の入札者の方にも連絡させていただいておりますので今回は連絡が先にと れた方にお譲りしたいと思っております。私としましてもスムーズなお取引をさ せていただけたらと思います。 突然のメールで困惑されたかもしれませんが何卒ご検討のほどいただきましてお 返事いただけたらと思います。
それでは宜しくお願い致します。

住所:札幌市中央区大通西●●●●(〒060-0042)  
氏名:寺田●雄 (ググッたら同姓同名の方がおられるので、伏せ字) 
自宅:011-631-3800          
携帯:090-8502-9246

もう面倒くさいので、オークションのIDとyahooメールのIDは変えた方がいい。


投稿者 ta : 22:10

2006年3月22日 (水)

デイリー4コマグランプリ

[ わすれない]

みやここうじ ついこの間、ここで紹介した友人のイラストレーターみやここうじが現在開催中のライブドア・デイリー4コマグランプリに掲載されていました。 ライブドアIDを持っている人しか投票できないのですが、持っている方いない方、ぜひぜひ覗いてください。 それでよければライブドアIDも無料な事ですし。 そこはひとつ。どうもどうも。いやどうも。

デイリー4コマグランプリ - livedoor デイリー4コマ


投稿者 ta : 22:30

2006年2月 8日 (水)

スティーヴィー

[ わすれない]

●宣伝もうひとつ。
映画「スティーヴィー」公式サイト
今月18日からポレポレ東中野で公開予定の「スティーヴィー」。
「フープ・ドリームス」を撮ったスティーヴ・ジェイムス監督の作品で、山形ドキュメンタリー映画祭2003で最優秀賞にもなっている。
制作助手を勤め日本公開でも配給先探しから多大な貢献をしているビョーク似のAさん。配給先が決まってなかった頃から話だけは聞かせてもらっていたので、ついにですね、という感じです。
といっても、肝心の作品の方はまだ観ていないので詳しいことを何も知らない。
詳しいことを知らない人は必ず観に行こう!

Aさんの人となりまで分かってしまうブログはこちら。
スティーヴィー通信

公開初日にはオールナイトで「フープ・ドリームス」もやるみたい。
これ観に行きたい。

【『スティーヴィー』公開記念オールナイト】

2/18(土)、ポレポレ東中野にて

上映作品:『フープ・ドリームス』『スティーヴィー』
開場:23:00
開映:23:15(終了翌朝5:20頃)
料金:前売2,100円/当日2,400円

*『フープ・ドリームス』上映前にスティーヴ・ジェイムス監督、
アダム・シンガー(プロデューサー)によるトークあり
*オールナイトイベント前売券は近日中に劇場窓口、       
 チケットぴあ(Pコード551-961)にて発売開始
*当日朝10:25より劇場受付にて整理番号を配布
*『フープ・ドリームス』は、日本での上映権利がすでにないため、
監督・製作会社などの特別な許可により上映が実現しました。

***************

このオールナイトショーの回の他にも、
スティーヴ・ジェイムス監督、そして
前作『フープ・ドリームス』以来
ジェイムス監督の映画製作パートナーとして
撮影を支えてきたプロデューサーのアダム・シンガー氏
(『フープ・ドリームス』『スティーヴィー』撮影では音声兼務)による
映画『スティーヴィー』撮影・映画に関するQ&Aとトークセッションを行います。
皆さん、是非ご来場頂きますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

2/18(土)
初回・2回目・3回目 上映後にQ&A(20分程度)
最終回 上映後にトークショー(1時間程度)

2/19(日)
初回 上映後にQ&A(20分程度)
2回目 上映前に舞台挨拶

両日ともに
ゲスト:スティーヴ・ジェイムス監督
    アダム・シンガー氏(プロデューサー)


投稿者 ta : 06:47

bíó06 | アイスランド映画祭2006

[ わすれない]

●友だちが主催しているので宣伝。
今度の3月に東京と神戸でアイスランド映画祭が開催されるらしい。
bíó06 | アイスランド映画祭2006

フリドリック・トール・フリドリクソン新作「ナイスランド」
(サントラはマシュー・ハーバートのレーベルからデビューしたムーギーソン)

「氷の国のノイ」の監督ダーグル・カウリの新作「ダークホース」

よくしらないけど、素敵そうな「農夫ジョンの世界」

が観たい。


投稿者 ta : 06:35

2006年1月19日 (木)

トリビア2006

[ わすれない]

●2006年にもなってトリビアとはいまさら何言ってるんだ俺という思いが強い。大変だ。
でもこれだけは言わずにはいられない。

「トリビアなるもの」と「トリビアかもしれないもの」は全く別物だ。

この違いに気がつかないと、人は大変恥ずかしい思いをすることになる。
俺は大変恥ずかしかった。

数日前のこと。
TVのニュース番組を見ていると、ある事件の取材で佐賀の町並みが放送されていた。
そしてその時隣にいたSに何となく言ってしまった。

「佐賀県、田舎やね。松雪泰子も佐賀出身やけど、公表してないらしいよ。田舎やから。」

「それ、はなわが歌ってたよね。。」

「!」

こんなめにあったら誰だって、これが本厄なのかあ!と不安になる。本厄ではないにも関わらず。
だから再確認は絶対に必要だ。
アドバイスとしては、もし喉まで来ているその伝聞が佐賀県に関するものの場合、90%超の確立でそれは、はなわネタだろう。だからもう佐賀県の事は話さなくてもいいと思う。

俺は大変恥ずかしかった。大変だった。
もう恥ずかしくて日記になんてカ・ケ・ナ・イ!
オザケンの新しいアルバム楽しみだなあ。とりあえず買うなあ。この間の年末の掃除で押入の奥から出てきた売ってなかったレコードの中に、オザケンのLifeとラブリーか何かのアナログが出てきた。
これ辛いわ。捨てられないし。売っても安い。
大切にしてくれる誰か、もらってくれ。もれなく俺の90年代もついてくる。


投稿者 ta : 23:48

2005年6月28日 (火)

長さん

[ わすれない]

長新太さんが亡くなった。
この間の高田渡さんに続いて、今年は死んでしまうとどうしようもない悲しみに襲われる人が次々となくなる。そういう年なのか。2年前に初めて訪れた絵本カーニバルで初めて知った長新太さんには、もうどうにも動かせないくらいの感銘を受けていた。悲しいよ。涙は流れていくよ。
ほんの数時間前、ウチに来ていたCやYと、その辺りに転がっていた哲学書「なんじゃもんじゃ博士シリーズ」をパラパラとめくりながら、
「長さん本当素敵だよね。」
という会話を交わしていたばかりのこと。
もう突然すぎてよくわからんくなる。しばしAと呆然。
ご冥福をお祈りします。


投稿者 ta : 05:33

2005年4月21日 (木)

高田渡さんを送る追悼コンサート

[ わすれない]
高田渡さんのお別れ会の連絡がありましたが、すでに映画のサイトで発表されていました。
http://www.altamira.jp/takadawataru/index.html
4/28小金井公会堂です。
昨年末のげんこつまつりの会場です。
あのとき渡さんの歌を聴いた同じ会場で半年も経たずに追悼コンサートが開かれるとは夢にも思いませんでした。
(以下お知らせ 敬称略)

高田渡さんを送る追悼コンサート
「自転車にのって〜ありがとう、渡〜」
●日時 4月28日(木) 12時開場 13時開演 20時終演予定
●場所 小金井市公会堂(JR武蔵小金井駅より徒歩5分)
●参加費 1000円(当日受け付け窓口にて支払い)
●発起人 今井忍、加藤幸和、佐久間順平、佐藤GWAN博、シバ、中川イサト、中川五郎(アイウエオ順)
●協力・問い合わせ  アルタミラピクチャーズ 03-5456-8581 (担当 吉野・土本・日永)

●Rさん転送ありがとー。


投稿者 ta : 12:40

2005年4月 6日 (水)

忘備録

[ わすれない]

●忘備録のカテゴリー作る。
作ったはいいが、何を忘れないようにすればよいのか。
絶対わすれちゃダメってことってそうそうない。

● みうらじゅん発言集・310選

http://ww6.enjoy.ne.jp/%7Eare/miura.html

・「若手芸人ブームだけど猫ひろしだったらノーフューチャーっぽいから、
飲み屋に呼びつけてはギャグをやってもらってるんだ」
・「猫ひろしを見てると『まだまだ日本は大丈夫』って思うよ」


投稿者 ta : 07:16
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