2004年2月28日 (土) 

東海道本線 生命の旅

[ みる]

●51のみなさんと分かれて五反田へ。
Kはまた気をつけて行ってきてください。

●Kさんの作品が上映されるということでそれを観に行く。五反田の東京デザインセンター。
僕が卒業した年は学外展示なんてしていなかった。最近はそんなお洒落なことをしてしまうのか。
いいなー。

いろいろな人の卒業制作を観る。上映からインスタ、写真までさまざま。
中でも衝撃の作品。かなり面白かった。

「東海道本線 生命の旅」(タイトルうろ覚えですが)

これちょっと凄い。

「東海道…」は、東京から始まる東海道本線を命の歴史(プランクトンから人間まで)とともに辿っていく話のアニメーション。横浜だったり、京都だったりといった駅で電車が止まり、扉がひらくと、その向こうにはプランクトンが泳いでいたり、恐竜が歩いていたりする。そのアニメの各キャラ(恐竜、ほ乳類ら)がまた伊藤存的硬度なユルサを保っている。だって恐竜とか動かないし。1コマが横スクロール。これはかなりの衝撃。もう大変。

まず!とりあえずなんで東海道本線じゃなきゃいけないのか。命の旅なんていうからには、もっと適当な媒体があるような気がする。東海道と聞いて想像されるのは、やはり東海道五十三次。ファミコン世代にはなんとなくダメ〜な感じを漂わせたあのファミコンソフト「東海道五十三次」がまず思い浮かんでしまう。
そのダメ〜な感じと命の歴史。その対比プラスあまりにもミニマルな横スクロールの展開。ただたんたんと電車が駅に止まっていくだけ。しかしその電車の扉の向こうには、プランクトン→白亜紀→氷河期→ほ乳類→人間と、扉の向こうは展開していく。
「電車の扉の向こう」と書くと、それはあたかもカメラ視点が電車の中にあり、扉がひらくと外の世界が変わっていく、という展開を想像するだろうと思う。

ちがうから。

視点は電車の外だから。
車内が次々と変わっていくんですよ。

電車の扉の向こうじゃなきゃいけなかった理由は何だろう。考える。

音じゃないか。扉のしまる「プシューッ」という音が必要だったんじゃないか。

プランクトンや氷河期といった、意識的に処理しようとしなければ自然畏怖的な畏まった対象になってしまう恐れのある物をいかに、東海道本線上にとどめておくか。それには、各時代のまとめをむりやりあの「プシューッ」で閉じてしまわなければいけかったのではないか。
駆け込み乗車はおやめ下さい。

そういうことではないか。

そして電車は決して各駅に止まると言うことではない。
もっとも気になったのは、電車が名古屋駅を通過したことだ。もっとローカルな駅には停車して生命のはぐくみをこちらに提示してくれるにもかかわらず、なぜか名古屋駅には停車しない。ここにはきっと深い意味があるのだろう。作者のラジカルな思いがこちらにヒシヒシと伝わってくる。

名古屋とばしだろう。
作者は外タレ好きだろう、きっと。

そういうことではないか。

って、ちゃんと解説しようと思ったのだけど出来ませんでした。

観る機会(きっとかなりレアだと思われる。今日日曜日、五反田の東京デザインセンターで上映されてます)があったらとにかく是非観てください。

●他にも「フルフェイスの呪い」という、フルフェイスヘルメットを脱ぐと死ぬという呪いをかけられる、というストーリーの映画もあったが、これは未見なので言及できず。でも絶対おもしろいはず。

●同級生のF君にバッタリ会う。


投稿者 ta : 2004年2月28日 23:31

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