今頃ですが、あけましておめでとうございます。
今夜は沖縄の人気サイトDeeおきなわさんの事務所開きにお邪魔させてもらったのですが、軽くのけぞりました。さすがDeeおきなわさんというか、さすが沖縄というか…。パーリーに豚の丸焼きがでるんですね。しかも生後35日のかおるちゃんって…衝撃!!
事務所開きのパーリーで生き物について考えさせられるってそうそうない。
感謝の気持ちと共にごちそうになりました。
沖縄でホームセンターといえばどうやらメイクマンらしい。県内に何店舗もあり、うちの近所にも浦添店があるので、引越し直後の照明取り替えから園芸用品、押入れにいれるスノコから細かなDIYツールまで諸々お世話になっている。今のところ沖縄で一番足しげく通っている店がメイクマン。メッメッメイク〜♪と店内でエンドレスループされる歌も家族全員で口ずさんでしまうレベル。
大人には夢と魔法の楽園ホームセンターも子供にとっては苦痛なだけ。ホームセンターをはしごする親にただただ付き合わされるのはたまったもんじゃないだろう。そんな時こそ飴だ。普段お菓子や甘いものをあまりあげないので飴に目がない。飴さえ渡しておけば本当に機嫌よく大人しい。なくなるとまた欲しがる。もうないと分かると暴れる。砂糖って本当に麻薬だなって思う。危険だ。
チュッパチャプスみたいな飴を長い時間かけて大事に舐めるのはいいんだけど、リンゴの砂糖漬けみたいな一口で食べるお菓子も1時間とか2時間とかかけてチビチビ食べている。正直それは一口でいって欲しい。。
新しいやかん欲しいな。でも意外に高い。。誰かいいやかん教えてくれ。
そしてここにもありました。高濃度セシウム出て話題になった腐葉土。問題をちゃんと公表して対応しているのは立派だと思うけど、まだまだ出てくるだろうから、土買うのも植物買うのもガイガーカウンターもってかないとね〜。と思いつつ、面倒であんまできてない。
引越し荷物が届いたものの、どこから手をつけていいのか分からない状況。子のおもちゃだけは瞬く間に開封されていく。
はなまるうどんで昼ごはん。はなまるはもちろん、こないだ北谷のほうに丸亀もみつけたし、うどんライフには困らんな。一風堂がないのだけが心残り。
買い出しにきた無印のリビングが一番居心地いい。。
仕事部屋からの風景。家の横にある茂み(というか、ほぼ森)には、ハブが出るらしいので気をつけてね。と階下に住む人からアドバイス。どう気をつけていいのか分からないし、ハブへの恐怖が日に日に募る。
少しずつ片付いてきたよ。
ブログ更新おくれておりますー。
沖縄着いたー!
初日は牧志の公設市場で晩御飯。何から何まで新鮮。
とりあえず片っ端から沖縄ぽいもの頼む。沖縄ぽいもの頼んでおけば県産だろう。
そして市場の掲示板に貼ってあった新聞よかった。
購読したい。
そして沖縄は那覇に物件が決まったのだけど、今度は賃貸契約から引越し屋の手配まで、これまで経験した都内での引越しとは全く勝手が違うことが色々わかってきた。
まず沖縄の賃貸契約には、こちらの連帯保証人とは別に、保証会社との契約が必要になる。これは初めて聞いた制度なのだけど、沖縄では慣例らしい。じゃあ連絡保証人いらないんじゃね?とも思うのだが、そういうわけではないらしい。保証会社というくらいだから、こちらが家賃を滞納した時に、その保証会社が立て替えて大家に払うというようなシステムなのだが、どうやらその立て替えた代金に結構な利率がついてこちらに請求されるというような事らしい。そしてその請求先が最初は賃借人、その次が連帯保証人ということだ。まあ毎月キチンと家賃を払えば何の問題もないことだが、仮に家賃を払わない場合、東京であれば「大家さん〜あと3日待ってくださいよ〜」というようなエクスキューズもありうるが、沖縄の場合そんな相談のタイミングすらなく間髪いれずにリボ払いされてしまうというような感じだろうか。
そして賃貸契約と並行して引越し屋の手配を行わなくてはならない。これも都内など近場への引越しとは桁違いに金がかかる。とりあえず有名どころ5社ほどに見積もりをお願いしたところ、(車の運搬は除いて)上は45万から下は30万という見積もりが出た。アホか。そんなにかけれるかってことで、色々リサーチした結果、日通の単身パックを利用するのが一番安いんじゃないかということになった。しかしこの単身パックを利用する場合、エアコンの取り外し取り付けから業者を手配し、荷造りダンボールも自分で買いに行き、自分で箱詰め、大物家具の養生も自分でやらなくてはいけない。それは明らかにキャパオーバー。自分一人では到底無理だと、早々に諦めた。結局日通さんと交渉し、エアコン、食洗機、BSアンテナの取り外しと取り付け込で25万で落ち着いた。車の運送は、東京が記録的豪雨の真っ只中、自分で有明フェリーまで車運んで6万(沖縄着の飛行機に合わせて空港から車乗れるのはよかった)。それにしても高いよ沖縄。。
そこからはひたすらに引越しにむけての日々。今年の夏は断捨離の夏だった。家具、電化製品を売ったりあげたり捨てたり。暖房器具は全部友達にあげた。漫画はブックオフに売ったり、アート、文学系の本はカウブックス(シゲさんありがとう!)に買い取ってもらった。服も古着屋に売ったりあげたり。冬物はほとんど手放した。でも減らないんだ荷物。。全然減らない。取捨しながらダンボール詰めしていく修行の日々は、途中からもうどうでもよくなった。もういいじゃん向こうで捨てれば。手当たり次第に詰め込んでいくパッキングマシンと化した。それからは結構早かった。何とか引越し荷物搬出日には間に合った。それにしても本棚などの大物解体のヘルプにハラジュンきてくれなかったらヤバかった。ありがとう。といっても最終的に自力で詰めたダンボールは70くらい。荷物搬出当日に業者がパッキングした箱と大物合わせると150くらいのリストになって驚いたわ。。
沖縄への引越しにはさらに問題がある。海運のため、荷物を発送してから引越し先への搬入までの時差が1週間ほどある。その一週間をどこで過ごすのか。夏のこの時期、エアコンも冷蔵庫もない東京の部屋で過ごすか、沖縄に前乗りして宿暮らしするかの2択になる。東京で色々やらなきゃいけないこと残ってるし、宿代もったいないので空っぽの部屋で1週間過ごすことにした。幸い持って行かないソファーと布団が1つずつあったので、まあ寝るところだけは何とかなるし、食事はここ半年通り基本外食。ネットはwimaxとノートPC、という編成で望んだ。驚いたことにこれが予想以上に快適だった。快適というと少し違うけど、そんなに不自由なかった。
じゃあ今回の断捨離戦争をかいくぐり、沖縄に送られたダンボール150箱は一体何だったんだろうか。
そして東京を離れる2日前、妻の実家から妻子合流。一ヶ月半ぶりのリコ玉、またでっかくなってる。半年ぶりにこれからは一緒に住める。嬉しい。同じアパートのお友達ともまた会えて遊べてお別れできてよかったね。それにしても東京での最後の住居となったこのアパート、古い団地みたいなところなんだけど、家族住まいが多くて素敵な人達ばかりで本当よかったな。アパート内での付き合いがこんなにあるところ他に知らない。最初駒沢なんてコマザワンヌしかおらんやろどうせって思ってたけど、全然違った。公園以外とくに何もない街だけど住みやすかった。また東京住むならこのアパートに住みたい。東京最後の晩には、お隣の安本家の部屋でご近所さん集まってのご飯会。玄関の靴が大変なことになってる。
というか、今回の引越し、いろんな人にお世話になりました。仕事先の人には無理言って色々スケジュール調整してもらったり、友達は引越しの手伝いしてくれたり、ご飯会してくれたり、プレゼントまでくれたり、もう感謝してもしきれません。本当にありがとう。その御恩には沖縄での宿を提供するということでお返しします!でも東京来るときには泊めてください。
やっと引越しまで追いついた〜。
つづく
そして東京で単身赴任的生活 or 家族で移住という選択になれば、そりゃもちろん後者を選ぶ。そして移住先を探すことになった訳だ。岐阜出身の田舎者といってもかれこれ東京に12年ほど住み、東京でしか仕事をしたことがない人間にとってみれば首都圏以外の地域は完全に未知。アウェー感ハンパないのは簡単に想像できる。
でもどうせ移住するなら楽しみたい。これまでとはちょっと違うところに住んでみたい。なおかつ問題の原発から地理的にも一番遠いところということで俺の希望は南国・沖縄!!沖縄はさすがに遠い!という妻を説得し、沖縄に行くことにはなった。そしてひとまず目指すところは決まったものの、そうそう軽いノリで行ける場所ではない。新居を探しに行くのも一苦労。結局5月、7月とそれぞれ一週間程下見を兼ねて沖縄に行ってきた。5月の旅行は現地の飲み屋で夫婦バトルが勃発。その旅行は壮絶な終焉をみせた。もう沖縄はダメかもしれない。そんな風に思ったこともあった。諦めかけた沖縄を、どころか様々を。そんな谷もあり山もありみたいなことを経て、子供の誕生日もあった7月は物件探しに集中!子はカスガイ!!!滞在一週間で沖縄本島、北は今帰仁村から南は南城市までざっと25件ほどの物件をみた。
内見した25件の物件のうち、僕が本当に住みたくなった家があった。首里の物件で物凄く魅力的な物件があったのだ。物件が魅力的というか家主が魅力的だった。キジムナーみたいな建築家のオジイが勝手にどんどん改築していっているその物件は、まるでフンデルトヴァッサーみたいな意味不明な様相を呈しており、僕らが内見したまさにその時もキジムナーはさらに家を改築しようと工務店のおっさんとワイワイ相談している最中だった。そんな家の間貸し物件に物凄い魅力を感じていた。妻との相談の結果、その物件は日当たりや広さで諦めることになったけど、沖縄に住むことになった暁には必ずこのキジムナーと友達になりたいと願っている。
7月の中程に東京に戻り、東京の家に2日ほど滞在した後、妻子はまた妻の実家に戻っていった。今度会えるのは沖縄に引っ越す時だ。
沖縄では、これまでの東京都内での引越しのように数年のスパンで趣味のように部屋探しをしドキっと一目惚れするような物件に出会えたわけではない。しかし一回の渡航でウン十万もかかるような場所にそうそう物件探しにいける訳もなく、仕事のスケジュール的にも厳しいわけで、沖縄の家は今回探した物件の中で決めるしかなかった。いきなり田舎に行くという選択肢もあったが、本土から来た沖縄ビギナーがいきなりローカルエリアに溶け込めるのか、まずは東京に事務所を残して行き来しつつ仕事していこうというプランだから最初は空港に近いほうがいいのではないか、と考えた結果、最初は手探りに少しずつ沖縄を感じていこうということで那覇市に住むことにした。本当は庭で家庭菜園ができる平屋建てが希望だったのだけど、やはり那覇近郊ではなかなか条件に合う物件もなく、庭と平屋を諦めた。戸建て物件で上と下で別世帯が住む物件に決めた。どうかもう1世帯が素敵な人達でありますように。そう思うと東京の今のアパートは本当に最高だ。素敵な家族しか住んでない!本当に離れたくない!
これから沖縄物件の賃貸契約もろもろや引越し屋きめたり、仕事先に連絡したりと色々しなきゃいけない。引越しは9月頭に決めた。
マジで片付け面倒くさい!そして金かかるんじゃボケ!!東電許さん!!
つづく
震災どころか年をまたいでも全く更新してなかったけど、ぼちぼち再開。
2011年を迎えたと思ったのもつかの間、3.11の震災、そして原発。そこから心の時間はほとんど止まったままなんだけど、当たり前に時間は進むし生活は進むし子供はどんどん育っていく。ウチの場合、3/15以来、妻子は妻の実家の富山に避難してる。僕は東京で働きながら月に一度くらいの頻度で妻子に会いに行くみたいな状況がかれこれ5ヶ月続いている。
まあ放射能被曝にしきい値はないらしいのでリスクを避けるという意味では、特に小さな子供は逃げられるならできるだけ遠くに逃げたほうがいいし。そして遠くに逃げたほうが周りの状況もピリピリしてないだろうから、そういった意味でもストレスが少ないのかなと思う。
その点では夫婦間に意見の相違がなかったのは不幸中の幸いなのかもしれないが、こんな状況をいつまでも続けるわけにはいかない。考えられる選択肢としては、東京に妻子が戻ってくるか、どこか移住先を見つけて家族で移り住むか。その2拓だと思っていたのだけど、どうやらそうではなかったらしい。妻はもう東京に戻る気はないらしい。
僕の今の見解は、外部線量で言えば東京も富山もさほど違いはなく、しいて言えば食品の流通経路が東京の場合ほとんど東北・北関東からのものになる可能性が高い。でも事故後一ヶ月のタイミングで政府が的確な処置をしなかったばかりか、基準値をあげたため、放射能まみれの食肉牛から野菜からあげくは腐葉土までが全国にばらまかれているというのが現状のようだ。そうなるともう九州から野菜取り寄せたってそれがOKなのかどうなのか分からないレベルだろう。二次的なストレスなどを考えなければ、東京でピリピリとした緊張感の中、食品その他に気を使いながら暮らしている方が安全なんじゃないか。西日本ではきっと何の危機感もなくなんとなく安全だと思い、スーパーに並んでる野菜や肉を買っているだろう。そんな人達の方がもしかしたら内部被曝のリスクが高いような気さえしてしまう。
まあそんなことを1人で考えててもしょうがない。そんなことを家族で話し合えるような場を、まずは場所を、家族は一緒にいなくては話もできないのだ。
というわけで移住先を探すことになったわけだが、それはもうかれこれ数カ月前の話、それからというものお互いの実家を巻き込み、夫婦間でもバリバリバトル全開の日々をこなしながら、仕事もそこそこしながら、とにかく探した。
つづく
天気良かったので砧公園へ向かう。行きにミスドで先日ゲットした90円クーポン使って、ドーナツとコーヒーゲットしようと思ったら、なんと割引適用は店内飲食のみ。意味なーい!
公園快晴。チョコレートはまだ食べたことがないが、最近ドーナツは解禁された娘、オールドファッションが大好物。そして妻が売店で見かけて買ってきたシャボン玉炸裂。娘、初シャボン玉に大興奮。
しばらくすると、ワルな高校生と思しき二人組がキャッチボール始める。それも硬球で結構本気のご様子。ファッションも上下スウェットでバッチリ決めている。砧公園の芝生エリアはサッカーや野球の球技禁止のはず。危ないよ。「オラ!娘に当たったらどうすんねんボケ!」と言ってやろうか、「奥歯ガタガタいわしたろうか!」と言ってやろうか、と妻にだけ凄む。休日の公園でも父親の株は下がることがあるようだ。
昼、打ち合わせ。久々にインフォバーンいく。また会社のフロアが増えてて驚いた。入り口の棚に平積みされた「FREE」読みたくなる。読み終わったら誰かくれないかな。
夜、目黒のクラスカへ。greenzがやってるgreen drinks Japanというイベントに行ってきた。知ってる人がちらほらいたり、新しい人と知り合えたりと。中でも岐阜の羽島出身の人いたのにびっくり。高校も隣だったし。まあ年は10くらい違うんですが。帰りがけ数人で学大前の古着屋兼バーへ。名前忘れてしまった。こちらはまったり。
かえりがけ気がついたらマフラーと手袋がなくなってる。そんな酔ってた覚えはないんだけどどこで落としたか全く覚えてない。寒風吹きすさぶ中、自転車での帰路は辛い。
クラスカは今日もオシャレでした。
本当に今更ですが、どうぞ今年もヨロシクお願いいたします。
気がつくと年があけて20日も経ってるよ。まいったまいった。
去年の後半からツイッターに流されてただでさえ少なかったブログの更新が更に激減した。それだけならまだしも140文字更新に慣れすぎて、どうやってブログ書いてたのかすら忘れてしまった自分がここにいる。という訳で今年の抱負は「毎日ブログを更新する」にしました。
ツイッター → 日常の小言でOK
ブログ → 日常の小言以外
いつの間にかこのような設定が自分の中に出来上がっていて、勝手にブログのハードルがあがっていた。なのでまずはブログを元の位置に戻してみる。で、どうすればうまいこと続けられるかを考えよう。